コラム2

自分を責めるな!

1、人は誰でも、多かれ少なかれ、「自分」という人間について、何らかのイメージを持つものです。

  

他人から見て、その他人が抱く印象と、自分が自分自身について抱いている印象と、大きく違うようです。それは、自分自身について「甘い」人は「こうありたい」という願望を投影してしまうし、「辛い」人は、欠点ばかり気にして、駄目な奴だと自嘲しているようです。

2、どちらの傾向性を持っている人も、また、稀に正確な自画像を持っている人も、何らかの出来事に遭遇し、うまく処理できなかったときに、結果が悲惨であればあるほど、自分を責める羽目に陥ります。

  

引き受けたからには、「あれをこうすればこうなるはず」とか、「自分の技量や経験からすればうまく処理できるはず」とか、「何とかなるだろうと思った」とか、なんらかの「見通し」を持って、または、何らの見通しなく、着手し、うまくいかなかった経験があるはずです。

3、このようなとき、いわゆる「落ち込む」という心理状態になります。
 この「落ち込む」という心理状態は、実は、自分で自分の過去の行動や動機を責めているから起きるのです。

  

物事は、及び人々は、あなたの思い通りに動くとは限らない、むしろ、思い通りにならない、という「真理」を良く知っていれば、「自分を責める」事態にはならないのですが、悲しいかな、我々凡人は、理屈でそのようなことを知っていたとしても、「自分を責める」ことから逃れることは難しいのです。

4、結果が悪くても(思い通りにならなくてもと言う意味:客観的な良い、悪いはないのですが)、 「それはそれでしょうがない」と強気の人は口でいうでしょうが、内心では「自分を責めている」ので厄介ですが、本当に「それはそれでしょうがない」と納得しているのなら、「自分を責める」ということにはなりません。

5、ここでは、「自分を責める」と、どういう事態が生じるのかということを考察してみたいのです。

  

「責める」ということは、言葉を変えれば、「非難する」ということで、当然の前提として、その人(自分)は、既に行ってしまった行動以外の道があって、その道を選択することだってできたはずと思っているからです。A,B,Cの道が見えていて、正解はBなのに、A,またはCを選んでしまった、とか、Aの道しか見えなかったとか、思っているわけです。
 しかし、そう思ったら、既に行われた行動を訂正することが可能でしょうか?
 不可能ですね、せいぜい今度同じような事態の時には別の行動を取ろう、とかもっと慎重に行動しようとかの対処法があるだけですね。

6、「あの時こうすればよかった」と思い、「どうししてそうしなかったか」とか、「どうしても能力的に、または、時間的に、そうできなかった」などと思うことに、何の意味があるでしょうか?と言いたいのです。
  

自分の能力のなさ、準備の悪さ、慎重さのなさ、金のなさ、助けてくれる友人の少なさ、などなど、自分の足らないことをあげつらうだけに終わりそうです。
これだと、自分がいかに、「足らないか」がつくづくわかり、「自信喪失」と「無力感」に陥ることになりませんか?

  

それだけなら、いいのですが、自分の内心で、自分を責めていると、うまくいかなかった出来事のいわば「被害者」(あなたに頼んだ人)に対して、「悪かった」と思っているので、その「被害者」の一言一言が、「自分を責めている」ような気がしてくるのです、「被害者」は、一度は文句を言っても、もしあなたを愛しているのなら、決して「責め続ける」ことはしないものですが、なにしろ自分で自分を責め続けているのですから、相手の言動もそうなのだと、感じられて、最期には、その苦しみに耐えられず、「被害者」を怒鳴り散らす、とか、恨むという羽目に陥るのです。せっかく、その人のために苦労したのに、その心が通じないで、またその人も感謝する暇もなく、不仲になってしまうのです。

  

もうひとつ、一番たちの悪いやり方ですが、この失敗の原因は自分のせいだと十分わかっているのに、そのままだと、苦しいですよね、そこで、「自分のせいじゃない、」と言う理由を考え始めるのです。例えば、「十分な準備期間をくれなかった」とか、「ちゃんと説明してくれなかった」とか、「作業環境が悪い」とか思いつく限りの言い訳を考え、一番通用しそうな「誰かのせい」という理由をでっち上げて、「自分のせいじゃない」と思い込もうとします。しかも、攻撃は最大の防御ですから、そのことを、声高に言い募るのです。

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